【破れた紙袋】
大きな駅は人が多い。
そんな大きな駅の、中央の改札の前で、私は立ち尽くしていた。
当時、私は一人北海道へと渡り、現地で合流した古い友人とスキーを楽しみ、翌日喧嘩し1、ついでに帰りの船へ接続する電車にも乗り遅れ、やむを得ず一人、カラオケにて夜を明かした後であった。
そんな疲弊した状態で、「ああ……まさかまたこの駅に来ることになろうとは」とよくわからないことを考えながら、私は紙袋の中に手を突っ込み、改札を通るためのICOCAを探す。
昨晩、"終電"に乗り遅れた後に構内から電話して、前後の送迎バスごと、すべての予約を24時間ずらしてもらったフェリーに今日こそ乗り込むべく、空港近くの小さな駅へ向かわんとしていたのである。
見知らぬ街で、群衆の奔流に流されながらあてどもなくさまようーー感じる心細さはいや増すばかり。自分から望んで来たはずだというのに、予想外の延長、徹夜明けの朝、恋しき京都の記憶ーー今や私は、すっかり「早く帰りたいよ~」という気持ちになっていた。
早く帰りたいなら飛行機とか使えよ……と思った読者もおられるかもしれない。だがしかし昨晩、電話で予約していた北陸行きのフェリーをキャンセルしようと電話を掛けた際、「飛行機で帰るのでやっぱりキャンセルで……」と言うのも忍びなく、延期と口にしてしまったのだからしようがない。「実は電車を乗り逃してしまって……」と、そこまで言った後にキャンセルではなく「明日の船に空きはありますか」と言葉を継いだのは私の優柔不断と気まずさゆえである。
さて、ここまでくればもう意地である。「意地だ、自己満足だ、何がどうあっても私は津軽海峡を通って(夜で何も見えないが)故郷・京都方面へと帰るのだ」などと、自覚しながらも不合理な選択をした私は、かくして疲労困憊の状態で、南行きの電車に乗るべく改札の前に立っていたのである。
ここでICOCAを取り出して……電車に乗って、バスへ接続する駅に向かえば、あとは乗っているだけで本州に帰れる……ぼんやりと考えながら手探りでカードを探し当てようとしていたその時……事件は起こった。
なんと、紙袋の紙が破れ、底が抜けてしまったのである。
思えばこの旅の間、私は紙袋を何度か雪の上に置いたりしていた。冷静に考えると阿呆である。雪とはそれすなわち水の一形態なのであるから、そんなことをしていれば濡れてしまうに決まっている。北国特有のほわっほわの軽い雪は、かよわい紙袋をも優しく受け止めてくれるんだなあ……小樽散策をしながら、そんなことを考えていた私は雪のことを盲信しすぎていたのだ。
閑話休題。
与太話はさておき、これだけの人込みの中で紙袋が破けてしまっては大変である。とっさに抑えようにも、私は他に大きなボストンバッグも持っていて、片手しかあいていない。
破れた紙袋、転がる酒瓶(梅酒2とウイスキー3)、慌てに慌てる旅人ーもとい、僕。ついでに散らばるカップ麵。
すぐに拾おうとするが手はあいていない。というか、転がっていく瓶と紙箱を押さえたはいいものの、ボストンバッグはパンパンで(だからこそ、お土産と食料品は紙袋に別に分けて持ち歩いていたのであった……)こいつらを入れるスペースなんてものは……全く、ない!4
万事休す……このままお土産は諦めてここに置いていくしかないのか……あと帰りの食糧のカップ麵も……5そう思ったその時、救世主が現れた。
「これ、使ってください!!」
パニックになって自分の足元に釘付けになっていた私は、突如自分に向けられた言葉にハッとして顔を上げる。
目の前には、見知らぬ女性が小さな紙袋を地面に置いて、入り口を広げている。
「大丈夫ですか? これ、使ってください」
「え、あ……いいんですか?」
「大丈夫です!」
気にしないで、そう言うとその人は、そのまま去って行ってしまった。
もらった紙袋は、もともと私の持っていたものよりは少し小さいものだったが、それでもカップヌードルたちは収まった。うーん……もらっといて言うことじゃないが……(言ってない)、惜しいな…ちょっとだけ足りない……。酒瓶の背が高すぎて、もらった紙袋には入りきらないのだ。やはりビンは手持ちで抱えるしかないか……
「これも差し上げますから!」
再び思考を突き破る声。見ると、先ほどの女性がまた目前にいる。どこかに行って、走って戻ってきたようだ。
今度はなんと、先程よりも大きく、辺や口が縫い留められた簡易的ながらも丈夫そうな四角い袋が置かれている。確かあれだ、ポリプロピレンバッグってやつだ!これ。6赤と白の見た目で、側面にはミッキーマウスが描かれている。
「え、あ、そんな……さすがにこれは申し訳ないですよ……ずっと使える、しっかりしたやつだし……」
「いいんです!使ってください。」
一瞬、迷う。現状……自力でこれだけの量を抱えて移動する方法はない。瓶を小脇に抱えて人混みの中を歩くのは、落としてしまう(割れる)可能性もあるしさすがに危ない。それに、ずっとこんな改札前でしゃがみこんでいるのも通行人の迷惑になるだろう。
逡巡ののち、私は厚意に甘えることにした。頭を下げる。
「ありがとうございます!すいません、本当に助かりました!!」
「いえ、大丈夫ですから。」
去り際、その方はこう言って走り去っていった。
「良い旅を!」
以来、私も旅行者に対してあのような言葉をかけられるような人間になりたいと思いながら、日々を過ごしている。7
- この後、彼のモバイルバッテリーを借りたまま船に乗って本州に帰ってしまったのであった……
めでたしめでたし詫びたし詫びたし
……まあ、その後詫びの品を買う筈が詫びの品の選定をめんどくさがった結果、紆余曲折あって北海道土産を三人で食べて仲直りしたのだが。
めでたしめでたし ↩︎ - のちに浅野氏と大文字山の火床で飲むことになるのだが、それはまた別の話ーー ↩︎
- のちに旅マネ氏に没収されることになるのだが、それはまた別の話ーー ↩︎
- もちろん、落ち着いて荷物整理:再パッキングすれば若干の空間は作れるのかもしれないが、前述のとおりこの日はすでに宿を出た翌日であり……そもそも宿なり休憩所なり、落ち着ける場所まで運ぶ手段もないのだ!! ↩︎
- 一応ーーー、マジレスを書いておくと誇張です。そもそもカップ麺はまだしも瓶が中に入った紙箱が人通りの多い駅構内に転がっていたら危ないので。みなさんも万が一街中や駅とかで荷物をぶちまけても放置して去らないようにしましょう。 ↩︎
- などと当日に思ったわけではなく、帰ってから(というか今=2025/6/13)「イケア バッグ 素材」で検索したのである。ビニールじゃなかったね、ビニール袋なわけないよね…… ↩︎
- その1. 実際にはほとんど旅の終わりであったのだが、そんなことをとやかく指摘するのは無粋であろう。何より、袋をもらえて本当に助かった上に、別れ際にサッとそのような言葉を投げかけられたこと、見知らぬ人に袋をくれるという温かいやさしさに触れたことーーそれにより覚えた感動は、実際の状況にはそぐわない言葉だとか、そんなことがどうでもよくなるほどに紛れもない本心、本当の感情だったのだから。
その2. ※バイトで(観光客も少なくない、京都の)飲食店で接客業をしていることを踏まえての所感 ↩︎
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