自己紹介【浅野】
「旅する〇〇」という同人誌サークルの主メンバー(年齢的にも、時間の余裕的にも、各メンバーとの関係値的にも)にも関わらずこの「試し書き」という場ができてから投稿の波に乗るのが遅れてしまったことはまず各方面に謝罪せねばならない。いつものことながら。「大物は遅れてくる」「重役出勤」という言葉もあれば、「遅れてくる者は人生に罰せられる(ミハイル・ゴルバチョフ)」という言葉もあり遅刻と滅身は紙一重である。猛省せねばならぬ。
閑話休題。
彼、言うまでもなく主宰たるmanager氏、と出会った(というよりは知ったというべきか)のはもうはや6年ほど前のことである。詳しい経緯やらなんやらは省略するが、彼も私も同じく鉄道趣味を持つ動画投稿者であった。
そして、今やコロナ禍やら大学入学やらあれこれ紆余曲折あり、動画投稿は止めてしまった(これは彼もであるが)。それに純粋な鉄道趣味者といえるのか危ういところですらあり、主な活動の場はTwitter(決してXなどという無粋な名称ではない)であるが、鉄道に関わらず趣味が浅く広いということや大学垢との棲み分けというものを一切行わなかったということによって、何のアカウントなのかは最早不明という状態になっている。
然れども、インターネットでの人間関係をそう構築する方ではない私ではあるが、彼との関係は薄れるどころか濃くなっていったのである。というのも、大学受験や大学入学を経て彼の所属校である京都大学(私は京大生ではなく幾分かランク下の神大生とやらである)や母校であるO阪S光学院といったところから芋づる式に人間関係を拡大する事態となった。どうも実は間接的に繋がっていた、ということが多発したのである。それに加えて、彼のDiscord鯖や彼の立ち上げたSOS団京大支部の構成員の面々とは共通の知人ということになる。特に彼の鯖を介して知り合った者(且つS光OB)としては3000字の散文か随筆かわからない文章の著者が一例である。
こういった数年間を経て、昨年末には彼の主催する『旅する〇〇の落書き その2』に参加し、そしてこの「試し書き」にも参加するに至った訳である。元来私は、Twitterも然り、なんらかの文章を書き創作や発信を続けたいという思いが強くあるのだ。中学入試や大学の推薦入試はどれも作文で乗り越えてきたといっても過言ではない。しかし『その2』にしてもなんにせよ、現実的に必要に迫られるものではないのを良いことに、先延ばし癖によって筆が遅滞しがちである。この「試し書き」なる場は、日常的にアウトプットをし、原稿に遅れを出さぬのも第二の目的とも言えるだろう。
先述した通り、私は最早純粋な鉄道趣味者ではなく、鉄道への熱量がそう高いわけでもない(好きではあるが、撮り鉄やら乗り鉄やらといった枠にはどうもはまらぬ)。この場においては、鉄道趣味に限らず徒然なるままに筆を執るつもりである。先週行ってきたフランス旅行の旅行記はしたためておきたいし、4月に大阪万博に行くのでその感想を記しておきたいし、先日の熊野寮生逮捕に伴い話題沸騰中である大学自治についても意見を述べたいところであるし、鉄道に関しても興味の持てる話題がいくつかある。まさにごった煮の形相である。それが彼(manager氏)の考える「ニッチなオタクのウェブメディア」とやらに他ならぬのではないだろうか。
この長々とした文章も結びに向かわせよう。6~7年の長きに渡ってネッ友としての関係を保ち、そして「試し書き」の場を提供して頂いた主宰のmanager氏に最大限の感謝を述べておきたい。ありがとう。
最後に、京大にほど近い吉田神社にゆかりがある(諸説あり)、兼好法師の『徒然草』の序段を引用して締めることとする。読者諸兄、次の記事で再び見参せん。ではまた。
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。-兼好法師 『徒然草』
令和7年2月23日
浅野
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