実は本ブログも1年が経っていたようで
こういう文章は深夜テンションでブレーキが効かないタイミングで自分のやりやすいタイミングでやるしかないのであろう。
さて執筆時は令和8年2月22日、同人誌即売会に向かわないといけないのに、なぜか寝れない旅するマネージャーです。今般、この「旅する〇〇の試し書き」という試みも1年が経っていたようです。基本的にクオリティチェックはしないとしているのだから、記事が上がったら読むということを繰り返しているので、年数ということもあまり意識していませんでした。
本ブログの動向と、自戒
既に、「自己紹介」から一年を経過しての所感 その1で指摘されているように、みんな意外と書かないんですね。「アウトプットし続けなければ思考は枯れる」「ふと自分の気持ちを文字の落とし込みたいときにその手段を確保しておくことの大事さは読者、いやツイ廃諸兄の皆様であればよくわかっていただけるだろう。」などとカッコいいことを言っているのは私なのですが、もう一つ付け加えると、下書きにためている記事というのはいつまで経っても下書きのままなのです。メインブログである旅するマネージャーのブログの統計を出すと、下書きは86本、書くのを諦めて非公開にし、没ネタ集に回されたのは14本となっていたりする。ふと気になったネタをそのまま放置しているのが非常に問題で、例えばこういう感じのネタが放置されている。タイトルと下書きの文字列をそのまま書くとこうである。
三セク改札
分離改札か、
同一改札(駅舎が別でも通り抜けできれば同一改札とみる)か、
二重改札か
途中まで書いていないというレベルではなく、もはやネタ帳どまりのものがゴロゴロたまっているのが私のブログである。
活性化施策をすべきなのか?
では一方で、本下書きの投稿本数を見てみると、公開済み38本・下書き15本(この15本には今まさに見ているこの記事もカウントされている)になっていて、「最終更新日」という欄を見てみれば、2025年1月のものも見当たるのである。ある種サンドボックスとしては成立しているのだが、開けた引き出しをそのままにするのは感心しない。尤もこれは自戒である。自戒である。何卒お許しを。
また、投稿者が固まっているのも問題であろう。色んな属性にある色んな人が書き散らしていくということを想定していたこと、何より「みんな何等か書くでしょう(10人も合わされば月10本くらい何等か揃うだろう)」と思っていたのが本当に間違いであったというのが私のミスである。勿論こんなところにいきなり巻き込まれてさあ文章を書きな!自由だ!なんて言われても困るのはわかる。
実際、Twitterのフォロワーでも何でもいいが、一般的なブログで、1年以上続いている人(つまり1年以上前から断続的な投稿がなされている)なんてごくわずかであるし、20本・100本の投稿があるなんて人は限られている。例えば私の知り合いでnoteをやっている人間なんていくらでもいるが、毎月1本づつ書けよといって書いている人なんてまあいない(京大鉄研の会報で書いているので、習慣化自体はできているのであろう)。
結局は習慣化の問題でもあろうし、また、いっぱい本数を書くのが”正義しい”のかは知らない。敢えていうなれば、本ブログの執筆後に登録者各位にはメールで「お忘れでないですか…?」ということになるだろう。もう少し考えてみると、同人誌の合同なんていう遣り口をすれば一定の期限があって、一定の分量を書くことを自ら志願していくことになるのだが、そういうのとはまた違った感覚を求められるのであろうか。私が初めてコミックマーケットに参加したのは2023年の年の瀬のことであるが、その半年前くらいに、「本っていう有体物に自分の文章が載って、そこで人さまから対価を取るというの、怖くないですか?」みたいな話をしていたような記憶がある。この論法を借りれば「インターネットに自分の文章を晒上げるのって、怖くないですか?」となるのであろうか。書きなれてしまった人の方便であるのかもしれないので、各位からのご意見を頂戴したい。また、鉄道趣味から大きく逸脱する文章であれば私もふらっと書こうかなぁ…というか京都刑務所の訪問記を出してましたね。
フィードバックのなさというのも難しいところで、ブログにコメントがつくなんてことはYouTubeやniconicoと違ってまずない。TwitterやMisskeyのようにリアクションもない。そういうところもつらいのかもしれない。私は基本的に出た文章は読むようにしているが、「次回作を期待しています、先生!」みたいな感じになってしまって、それぞれの文章に対して感想を返せていない。というか、事後的なクオリティチェックになってしまいそうで、萎縮効果があるのではないかと思ってしまう。とはいえ「ほめて伸ばす」という形もあるわけで、ここが難儀である。あくまで私は場を提供したいのである。一定の方向性に形成するというのは、できれば慎重でありたいところである(投稿本数が増えてほしいというのは、一定の方向性であるのでもはやこの論が破綻している気もするがお許し願いたい)。
あとは、皆が皆大学生・社会人というところで固まっているのも問題であろうが、高校生となると、私の5個・6個下ということになるので、3個下くらいの数珠繋ぎということになろう。コミュニティの内輪でワイワイやっているというところもあるが、いろんな人を巻き込みたいという欲求に忠実であるのは私を昔から見ていた人からすればわかるのかもしれない。
やはり寄稿者募集
数珠繋ぎと言ったのであるから、執筆者を募集することとします。ライター一覧があるので、その方とのつながりがあるの方を募集対象とします。本ブログの趣意は過去に述べたところであるが、要するに、「何かを書ける場」「壁打ち的に自分の好きを発信できる場所の確保」などと言っているので、これに共感されて、いざ文章を書かんとする方はぜひご参加いただきたいです。
生成AIについて
ついでに私の話も書いておこう。人が自分のもっともらしいことを書くのが頭であるとすれば、この世にある情報から確率的にもっともらしいものを生み出すのが生成AIであろう。ところで、生成AIに対するスタンスとしては、まだ創作行為に使うのは適法性・適切性に疑義が残るというところであろうか。一方で、ウェブサイトのコーディング(著作権法上の著作物である場合はごく限られる)のように良いものを相互に流用して行こうという文化があるところでは何とでもいいんでしょうし、実際サイト運営ではChatGPTにお世話になる面はあったりなかったり。私とて「手計算の温かみが」みたく、「手打ちコードの温かみがいいんだよ」と言いたいわけではないことは強く言っておきたい。
過去にツイートでまとめていたのでそのまま引用すると、生成AIの出力による画像・音声を用いることについて、
法的には、画像・音声の著作物の利用として(文化庁の審議会資料踏まえ、やはり)著作権法上疑義があること
文化的には、他人の労力にフリーライドするだけの行為であり忌避すべきとする文化に親和的であること
審美的には、なんか全体的に不気味の谷にあるということ(”ジブリ風”が最たる例)
とする一方でプログラムのコーディングの各部分だけだと著作物とは言えないし、優秀なコード引っ張ってくるということはよくあるというし、更に不気味の谷もへったくれもないということで、特段気にしていない
ということらしいです。2022年頃にこれ(NSFW)で笑えていた時代がうらやましいですな。
生成AIイラストが跳梁跋扈する中で、せっかくだし、自分のこれまで書いてきた1000本くらいのブログで私っぽい文章を書かせるみたいなプログラムを組むことが出来たら楽しいな~と思いつつ、誰か助けてくれ~と思っている。ついでに、自分の文章をChatGPTに食わせて「これは手書きの文章か否や」と聞いたら「「AIらしく見える表現」は点在するが、それは AI利用の証拠ではなく、日本語文の一般的特徴と重なっているだけ」とのお墨付きをいただいたところである。まだまだ負けたもんじゃないねえ
費用面の話
実はブログのほうの収益化は2025年6月、急に剥奪されました。BAN理由もよくわかりませんが、ともかく収益源はなくなりました。では一方で、この「試し書き」運用のためのコストは?ということですが、元々SSL対応で年990円かかっていたところ、なんとタダになりました。Lucky…
執筆者各位に告ぐ
本ブログは気負うべき場所ではない。GAFAなどとも無関係である。恐れないといけないのは日本の法律とさくらインターネットだけである。何していただいても一向にかまわん。別に鉄道の話をしてほしいという趣旨でもないし、もっと、自分の周りにある漠然とした何かをつなぎとめて言葉にするのでもよい、もっとニッチな話をしてもよい。推し語りで一万字書いてもよい。卒論コピペして乗っけても構わん。月1でいいから思い出して書いてほしい。私は他人のアウトプットを見たいのである。




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