【ヒッチレース2024】無人駅から京都まで #1

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ヒッチレースってなんぞ?

 この記事は、遡ること半年以上、昨年五月末の或る旅の記録について綴るものなり。
 金曜日の夜ーー一時間前にうどんをおなかの中に入れた私は、チャリを駆って1深夜の大学構内へと向かっていた。時刻は23時半を過ぎていた。こんな夜更けに何用で、と読者諸君はいぶかしむかもしれないが、大学生にとっては夜中に大学スーパー鴨川等に行くことはよくあること2なのである。したがってその行為自体は私にとっても何ら特別なものではなかったのであるが、しかし私の心はドキドキしていた。いわば、今向かっている先、そしてこれから身を投じようとしているイベント(イベント……なのか?)、それ自体が、私にとっては非日常であり、普段から走っている東大路の道を行く間3さえも、いわば旅のーいや、もっと言えば冒険の始まりのように思われていたのだ。
 そのイベントとは、吉田寮祭の企画「ヒッチレース」である。

ヒッチレース。それは、……詳しい説明は、たぶん寮や寮祭運営の本部(?)の公式説明、或いは私よりもっと有名だったりしっかりしていたりしそうな方々の参加レポをご覧になってもらった方がいいと思うのだが、さすがに体験記を記事にする以上、一応の説明はするのが礼儀であろうと思うので以下、簡単に記す。
その一、参加する。その二、どこかに連れてってもらう。その三、主にヒッチハイクなどの手段を用いて、帰ってくる。
以上である。実にシンプルであろう?ふざけているわけでもなく、本当にまとめるとこれだけである。その一の参加も、別に誓約書を書かされたりとか事前に予約がいるとかということもなく(※以下、すべてそうなのですが、これらの情報は私が参加した2024年の情報に基づいています。そのため、実際に今後参加しようという場合はこの記事だけを参考にするのではなくちゃんと寮自治会や寮祭運営のTwitterアカウントなどに問い合わせたりツイートをチェックしてください!)寮祭初日の深夜0時、「ヒッチレース」企画の開始時刻に"食堂"内にいることだけ、実に簡単である。メインとなるのはその三のヒッチハイクにて上洛する過程なのだが、案外その二:行きしなの車中もそれはそれで案外楽しかった。
 まあ、世にヒッチレースの体験記や記録などわんさか溢れているだろうから(ほんまか?)、今回はヒッチレースのログというだけでなく、ブログとして、ずいぶんと私の「個人的な」話もしていこうと思う。具体的に言うと、参加動機やヒッチハイクの経験(-といっているが、皆無であったのだが4)、そして脱線に次ぐ脱線小話である。なんというべきか、お手柔らかに……いや、違うな。対戦するわけじゃあるまいし。読者諸君には、温かい目で見守り読んでいただきたいものなのである。

「週末は暇であった」:そして複数の要因

 金曜日であった。翌日は土曜日。待ちに待った休日。社会人も学生もーー失敬、土曜授業のない学校の学生も、だれもが待ち望んだ週末のお休み。その前夜……であるというのに、私の心は沈んでいた。
 というのも、せっかくの週末ではあったが私には予定がなかったからである。もともとそこまで毎週どこかに遊びに行くほどアクティブでも社交的でもないものの、まあ何はともあれいろいろあって5その週末は虚無であった。そして、その頃の私は「ここではないどこかへ」行きたい、と度々願っていた。それは一種の自棄であったかもしれないが、口ではあれこれ言ったり、表面上は普通の生活を続けていても、心の片隅では確かにヒッチレースの日程を覚えていた。「どこに行くか分からない、そんな状態で、今いる場所から何百キロも離れた場所に連れてってもらえる、そんな経験、なかなかないと思わない?」そのようなことを考えながら迫る日付。
 そして、幸か不幸かー週末の予定は無かった。

 動機は他にもあった。
 元々興味はあった。だが、何度か足を踏み入れたことこそあれど、自身が寮生でもなければ、寮にめちゃくちゃ近しい友人がいるわけでもなく、寮内の出し物でお世話になったこともないーーそれゆえに1回、2回生の際にはハードルが高かった。寮生でなくとも参加できるとは聞き及んでいたが、さりとて正直引っ込み思案というかなんというか、まあ踏み出せなかったわけだ。二年連続で見送っていたのである。
 動機の一つには、2回生の前期だったかいつだったかにエンカした吉田寮に住んでいるTwitterのFFの存在がある。エンカに躊躇がない私は"行動力がある"(その表現が適切なのかはわからないが……)らしく、「行動力に自信があるならウチの寮の寮祭企画でヒッチレースってのがあるから是非飛び込んできたら」(意訳)と言われていたのである。がしかし結局その年のヒッチレース2023は初年度に続いて見送ることとなり、つまりは……なんと、1年以上経ってから漸くその助言を実行したことになる。ごめんな、櫻井君。6すべては語学の中間テストが悪いんだ。まあ、実をいうと2024年の方も週明けた火曜日にはCALLの中間テストがあったんだけど。
 他には、サークル以外にも(当時、私はバイトをしていなかった)コミュニティがほしいな、と思い寮の様子を覗きに行きたかった事、シンプルに大学生なんだし在学中に(あるいは生きているうちに?)ヒッチハイクくらいはしておきたいよな~と思いつつも、普段の生活だとする機会がない(というか金があるのに乗せてもらうのがなんか申し訳ねえ!)などの理由で、「……!追い詰められればヒッチハイクできるのでは?私でも」という謎の自信ゆえにとりあえずどっかに転送してもらおう!というお気持ちがあったり、あとは前述の「ここから遠く離れたどこかへ行ってしまいたい」という感傷的で儚げな衝動なんかもあったり、とかく様々な要因があり、迷いながらも金曜日の終わる三十分前に、私は寮の前の道路(普段と違い、人でごった返していた)にいたのである。DJがハルトマンの妖怪少女やペルソナの曲など、有名で(それこそ、私でも知っているほどに)盛り上がる曲を流している中、「これが祭り(前夜)か……確かに普段とは全然違う盛り上がりだな……まさしく非日常だわ」などと思ったのを覚えている。なお、ここで総人の学部新歓の登山で会った一回生の少年と遭遇した。そこで雑談する中で、彼の知り合いがヒッチレースに参加すると聞き、「え、じゃあ僕も」などと言ってそのまますーっと寮の食堂の中に吸い込まれていき~という展開があった。今思い出したぜ。
 ごめんな、後輩君。あの時「あーじゃあ俺も参加するかー」みたいなノリでしれっと食堂へ移動する人の流れに参入したけど、内心ではもともと6、7割がた「どちらかといえば参加する」方針に心は決まりつつあったんだぜ。あれはかっこつけただけなんだぜ。重大な決断を「えいやっ」って軽ーくできるタイプの人間を装ってただけなんだぜ……

  1. 【断章】
    ↩︎
  2. 大学生にとって(あるいは、治安や利便性などの面で"夜中でもほっつき歩ける"街、「学生の街」たる京都ゆえなのかもしれないが)深夜徘徊は万人の嗜みーーとまでは言えずとも、まあ、2時なり12時なりに大学に行ったりコンビニに行ったり大文字に行ったりー失敬、これは少々危険なのでブログで大っぴらに推奨できることではないなーーということは、それなりに普通で、ましてや生活圏である大学に日付が変わる前に行くことなどもはや日常の範疇なのである。これについては、うちの大学には平日同士の間の夜間ならばずっと開いている図書館付きの自習室があるということも大きかろう。 ↩︎
  3. よく考えたら今のマグロ号(二代目マグロ号)は、「少し遅めの誕生日祝い」として後期に親に買ってもらったものであるので、5月末のこの頃に走らせていたのは、初代マグロ号ー現・「長靴号」ということになる。なお、この命名はタイヤの両輪がパンクしており、構内を走るとブカブカのゴム長靴を履いて歩いているときのような音が鳴る、とサークルの後輩に評されたことを受けての命名である。現在行方知れずである。我はいつ整備不良で注意或いは警告を受けるかと怯えながら長靴号に(※サブ機として・構内の教室間移動のみだが)乗り続ける日々である。 ↩︎
  4. ちなみに、ヒッチレース以後にヒッチハイクをしたことは一度、ある。夏休みの桂川→名古屋港の話は、またやる気と暇があったときにでもするとしようか……
    やっぱりヒッチハイクで「(遥か数十キロ)前の(=前を走っている筈の)車を追ってください!!」は無理があるんだよな…… ↩︎
  5. これはあまりにもプライベートな話なので割愛する。少なくとも公開する文書には書くことはないだろう。あるいは私が老い、学生時代を終えて何十年もたってから、その人生をー過去の全てを受け入れ、肯定できる時が来たらさらっと書き記せる……そんな日が来るのかもしれない。 ↩︎
  6. 今調べたら前期どころか1回生の終わりの春休みであったわ……:我「3/16にエンカしにいくのぜ」
    ちなみに約束(ではないが)を果たすのが遅すぎて(+そもそも会うのが久しぶりすぎて)「覚えてますか」みたいな展開になったのだぜ。……思い出しては、くれたのだぜ……(まあこれに関しては14か月後に言われたことを実行した私が10割悪いので一瞬誰だか思い出せてなくってもっくるってTwitterで……と説明する展開になったことについて全然彼を責められるものでは ないとかなんとか) ↩︎

【メモ】なんかめっちゃ長くなってしまった(というか無人駅につくまででかなり長くなりそうなのでここでいったん公開・投稿するんだぜ。

Posted by もっくる